13年ぐらい前に、
僕は村上春樹の書かれた「風の歌を聴け」を初めて読んだ。
だが、中文版の「風の歌を聴け」(中文訳: 「聽風的歌」)なのだった。
その時から、ただ読書で暇を潰すよりも村上氏の作品にひどく引かれている。
言うまでもなく、
「風の歌を聴け」は小説家としての村上氏にとって原点と言われたら間違いがなく、
僕にとってもある原点のような存在しているものと言えばいいけど。
即ち、日本文学を読み始めた原点なのだ。
村上氏の作品の中で、20歳頃だったの僕にとって
最も気に入ったのは「風の歌を聴け」って小説だった。
なぜならば、主人公は21歳のためと共に、僕は大抵
村上氏の作ってくれた自分らしくの架空な主人公の性格を自分に投射させ、
しみじみと感心した。
おまけに、20歳頃の僕は孤独で単に執拗な人間だけに過ぎないのだった。
故に、孤独っぽい雰囲気が溢れる村上氏の小説は
孤独な僕に世の中で自分みたいな同類がいるよと言うようなイメ一ジを伝えせ、
僕にはなんとなくちょっとほっとした気がする。
あの主人公との一つの差別は、僕、煙草を吸っていなかった。
時が流れ、もう13年ぐらいが経った。
—-13年間。長い歳月だ。
喜んだことに、だだ齡を取っていってばかりではなく、
僕の日本語のレベルも原文の小説が読める段階に至って来た。
今週のある夕方に気分の良い微かな風に吹かれて
紀伊國屋書店ブライアント.パ一ク支店に寄って行った。
れいの読書時間なのだ。
ちなみに、紀伊國屋書店ブライアント.パ一ク支店の地下一階には
かなり居心地のよい所のため腰を下ろさせる空間までも設置されている。
ゆっくりと本の世界を味わる読書家向けのスベ一スが
心のこもったように作って上がられたのも感じられる。
おもしろい本があるかどうかを捜している間、
不意に文庫版の「風の歌を聴け」を目についた。
見覚えのある小説だけど、小説の内容は殆ど思い出さなかったんだ。
しようがないなあ、13年前程の記憶なんてもう心の真っ底に
行方不明の見出しさえがつかない思い出の箱に置かれっぱなしにしちゃった。
「風の歌を聴け」を手に腰を下ろし、数時間かかてこの本を読み返した。
今度は13年ぶりの原文の「風の歌を聴け」を読み上げたんだ。
正真正銘の「風の歌を聴け」だ。
相変わらず出色の作だけではなくて、
一瞬にして忘れてしまったすべての青春のづらさやら感動やら悲しみが訪れて来た。
とは言え、どちらかと言えば、
村上氏の作品の中で今の僕にとって一番気に入ったのは「国境の南、太陽の西」だ。
なぜかというと、「国境の南、太陽の西」の主人公は33歳で
僕はもう30代半ばなりの孤独を持っている人間になって来たんだ。
案の定、先に述べておいた投射原理だ。
ついでながら、村上氏の自らの禁煙によって
「羊をめぐる冒険」の後に発表した小説の中での主人公は
殆ど煙草を吸わないのに決められた。
皮肉に、間も無く34歳になる僕はほんの数分の前に
机もとの煙草を手に取って火を点けて溜息と一緒に煙を吸き出し、
一人ぽっちで煙草を吸いながら
漂って去る煙のような、
もう二度と戻って来ることできない風の歌のような
青春を聴き続けた。
March 21, 2010. ニューヨ一ク
